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はるびと④助産師 天満屋敷千幸

助産師さんに話を聞きに行ったら、力強く生きる女性の姿が見えたSTORY

ーDATAー
天満屋敷千幸(てんまんやしきちさち)
東京都三鷹市出身
父は会社員、母はパート勤務
妹がひとり。
現在は夫と5人の子どもの7人家族。

どろんこで遊んでいた子供の頃

小学校3年生の時、東京都から引っ越し、高校生までは、埼玉県越谷市にいました。
子どもの頃、体は小さかったんですが、動く事は大好きで、かくれんぼをするって言ったら友達に全身を砂場に埋めてもらうし、土手滑りや木登りをしたり、本当にいつも真っ黒で。スカートは一枚も持っていなくて、中学生になっても男の子に間違われるような子でした。
祖父がテニスの先生だったので、小さい頃はテニスに親しみ、学生時代は卓球やバスケ、スキーもやりました。スポーツは大好き。今はヨガをやっています。

入り口は、看護師になりたい。

高校を卒業後、看護学校へ進みました。看護師になりたいと思ったのは、単純に白衣への憧れでした。人の生にも死にも向き合う仕事、喜びもあるけれど悲しみとも直面する、その責任の重さを深く考えもせずに。
看護学校3年生は臨床実習があります。色んな科に行くんです。3年生最初の実習が産婦人科で、目の当たりにした分娩が本当に感動的だったんです。こんなに医療が進歩していく今でも、分娩の開始や赤ちゃんの誕生の瞬間は未知なる分野、ある意味、神の領域。そこに凛として妊婦に寄り添い、お産に伴走する助産師がカッコいい!と思ったんです。そして、産科は壁やカーテンの色もピンク色で、明るい雰囲気。「おめでとう」がたくさんあった。お産て幸せなものなんだ。って当時の私は思いました。それで大学を受験し、看護学校卒業と同時に助産師学校へ行きました。

仕事と家族と勉強と

助産師の資格を取る為に埼玉県立大学に通いました。資格を取って最初の仕事は、港区の総合病院の、産科小児科病棟での勤務でした。仕事が楽しかった。そこでは一つ一つのお産を丁寧にケアするシステムと環境があり、じっくりお産に向き合えた。先輩も優しくて、6年間勤務しました。

その後結婚。最初は隣の市のせんげん台に住んでいました。家を購入するタイミングで春日部市に移住。春日部に呼ばれたみたいに、あまり迷いなく決めました。

そんな中、なかなか子どもが授からず、治療に通う都合で、助産師のお仕事はお休みし、出身大学のお手伝いをしたり、近所の浜崎医院の訪問看護とケアマネージャーとして勤務しました。そして、この先子どもを持たない人生、このまま夫婦二人の暮らしも考え、大学で学び直してみようと進学しました。

ところが、大学在学中に自然妊娠したんです。出産で半年は休学しました。卒論に集中できず一年留年。そして卒業式には二人目を妊娠していました。本当に人生どうなるかわかりません。私はいつも人に恵まれているな、と思います。子どもを通じてできたご縁も多く、春日部に育ててもらってるな。と感じています。やっと大学を卒業して、助産師のご縁も広げたいと、助産師会に入会しました。そこで春日部地区の活動に参加することになりました。助産師会では、子育て支援講座や出産前後の相談を受けたり、市からの委託事業で、新生児訪問やママパパ学級も行っています。
春日部で多くの母子と出会いました。

助産院との出会い

三人目以降の出産は自宅分娩です。越谷市にある息吹助産院の三浦和子さんに取り上げてもらいました。たまたま三浦さんとは出身校が一緒で、恩師の紹介で知り合ったのですが、そのまま「うちで仕事をしない?」と声を掛けて頂き、その場で働くことを決めました。一か月検診の翌日から子連れで出勤。もう14年お世話になっています。

三浦助産師がお産引退の時に、三浦さんに取り上げてもらった親子で集まった時の写真

三浦さんのお産は赤ちゃんのリズムと産婦さんに合わせたお産で、経験してきた病院のお産とはまったく違いました。そこで私は、色々なお産の形や技術を学びました。

病院だと入院の4日間くらいしか触れ合えないんです。さらに外来と病棟が連携していないと、退院したらもう会うことはなかったりする。助産院は、妊婦さんの時はもちろん、生まれた子どもが、成長しておっぱいを離れ、思春期に入り、そしてママになり、更年期を迎え老年期に入る。そんな女性の生涯に寄り添って、ずっと見守ることができる。
感銘を受けて、2005年に出張専門の助産所の届け出を出しました。2017年にはおっぱいケアや妊婦検診などができる施設を開院。外来の対応も始めました。

春日部市,春日部,助産院,助産院母魂

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そして、2019年に分娩の取り扱い開始。施設をお借りしている息吹助産院でお産をするか、自宅分娩でお産をする、という形です。越谷市立病院が嘱託医療機関で、病院でのお産と同じ安全を担保できるように努めています。陣痛が来たらお家に駆け付けたり、型にとらわれず、なるべく希望に沿うように妊産婦さんとご家族に寄り添います。

天満屋敷さん提供

一生の仕事。助産師。

助産師歴は20余年になりました。昨年度から春日部地区助産師会の地区長もしています。
地域のお母さんと長いご縁が繋がっていくのがとても嬉しいです。親子二代のお産に立ち会ったこともあります。そんな時は、助産師冥利に尽きるなって思います。
助産師の仕事で嬉しいところは、家族が増える、そんな幸せなシーンに立ち会えるところ。大変なところは、お母さんも子どもも命がけ。お産の場面はいつでも緊張して臨みます。妊婦さんの妊娠37週目からは禁酒、遠出もしない。人間も動物だから、暗闇で外敵から身を隠してお産するのでしょうか。自然なお産を待っていると、やはり夜中が多いです。

自宅分娩の場合は、上の子どもが立ち会えるのが楽しいですね。お母さんと一緒に泣いちゃう子、うちわを仰いであげる子や、「お母さん絵本呼んで。」となる子もいますよ。パパの表情も様々。涙を流して奥様に「ありがとう。」を言う旦那さん、素敵です。

天満屋敷さん提供

今はコロナ禍で、人と会ったり、ちょっと相談、ができない。子育てにストレスを感じやすい状況なのが心配です。女の人って、喋ったり、食べたりして解消したりする。地域に、近くに助産師がいて、ちょっと頼ってもいいんだよ。ってことを知ってもらいたいと思います。助産院母魂は、自由に出入りできる開放日を作っていましたが、今はできない状況です。世の中が収まったらまたやりたいと思います。

peapleの育児グッズの監修もしています。

プライベートでは、最近ゴルフを始めました。まだ打ちっぱなしだけで、コースに出たことがないので、ゴルフ場デビューが楽しみ。子どもは今、大学生から小学生まで。家族7人で毎日騒がしく楽しく過ごしています。受験の子もいますが、面談とお産がかぶったら、もちろんお産に行きますよ。子ども達は、たまに母のいない夜があっても「あぁ、お産だな。」って、自分達で夕飯を作って、洗濯して、そういう夜を楽しんでいるようです。

助産院 母魂(じょさんいん ぼこん)
埼玉県春日部市大場1352-4
TEL:090-1266-4647
駐車場あり

助産師 天満屋敷千幸さんオススメのはるたびは?

春日部には、いい野球場がたくさんあります。10年間の少年野球母ライフで、何度も行きました。
ここは大沼野球場。ピッチャーは長男です。

気持ちのいい公園もあります。
これは一ノ割公園。助産院で繋がった仲間と青空yogaをやりました。

※はるたび・・・春日部の日常を旅するように楽しむこと。

人に歴史あり。
春日部市の魅力は、人です。
そんな、魅力ある人たちが作る、かすかべ。
あなたも是非、はるたびしてみてくださいね。


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